【追悼】鳥山明先生とTARAKOさんを偲んで

皆さんこんにちは。

突然ですが、私は今とても悲しんでいます。

何故なら、ドクタースランプ、ドラゴンボール、ドラゴンクエスト等のヒット作を生み出した、漫画家の鳥山明先生とテレビアニメ、ちびまる子ちゃんのまる子役を務めた声優のTARAKOさんが、この世を去りました。

アニメ界の宝として象徴されている人物の突然の訃報に私は今混乱していますが。

今回は特別企画として、私、天空天馬が鳥山先生の名作、ドラゴンボールとドクタースランプの思い出とちびまる子ちゃんの思い出をお伝えしていきますので、皆さんも当時の頃に観ていた思い出に残る名シーンを振り返ってみて下さい。

まず、鳥山明先生の名作、ドラゴンボールとドクタースランプの思い出をお伝えしていきます。

私が人生で初めてドラゴンボールを観たのは、母が録画してくれた劇場版ドラゴンボール魔訶不思議大冒険という映画が始まりでした。

それから毎週土日になると、いとこのお兄さんとお姉さんの家に遊びに行き、当時、スーパーファミコンでドラゴンボールのゲームを一緒にやって遊んだという思い出がありました。

小学生の頃には、学校が終わった後大急ぎで帰宅し、部屋にランドセルを投げすてて、居間にあるテレビをつけて、他の友達とは遊ばず、ドラゴンボールの再放送を観る時間が私にとって、最高の時間でした。

ドラゴンボールを観ている時はいつもこんな気持ちで観ていたと思います。

「今日の学校つまんないなぁ、でも、ドラゴンボールはいつ観ても大好きだから、今日あったイヤなこと忘れちゃおう‼笑」

という時がありました。

ドクタースランプでの思い出は、ドラゴンボール魔訶不思議大冒険に登場したアラレちゃんとの出会いでした。

アラレちゃんで、こんな影響を受けた事もありました。

子どもの頃、アラレちゃんのメガネがとてもおしゃれに見えていて、おもちゃのサングラスのレンズをわざと外して伊達メガネとしてかけたり、時には、祖母の老眼鏡をこっそりかけて遊んだりした事もありました。(真似しちゃダメ!❌)

ですが、当時のメガネはそれ程おしゃれではなかったため、よく親にメガネをかける事を反対されていました。笑

続いて、ちびまる子ちゃんの思い出をお伝えしていきます。

私の友人の龍氏から聞いた話ですが、小学生の頃、テストの結果が悪い事でよく親に怒られる毎日があったと話していて、龍氏の話によりますと、

「今でも、まる子ちゃんを観ると、モデルであるさくらももこ先生のリアルな苦労が分かるんだよね。自分と似ているかもしれないね。でも、まる子ちゃんには羨ましい所があるんだよね、それは、親友のたまちゃんがいつも、まるちゃんっていう呼び名がとても可愛くて、自分の時はそういう呼ばれ方されなかったから、本当にまる子ちゃんが凄く羨ましかった。」

と、そう話していました。

私の友人の龍氏も、私と同じく好きな教科は出来るが苦手な教科は出来ない人なので、まる子ちゃんのモデルであったさくらももこ先生の気持ちも凄く分かります。

そして、こんな思い出もありました。

あるお正月特番で、ドラゴンボールZの悟空とちびまる子ちゃんのまる子ちゃんが和服姿で並び、新年の挨拶をしてドラゴンボールZの劇場版とちびまる子ちゃんの劇場版の放送観た思い出もあります。

紋付き袴姿の悟空も凄く格好良くて、着物姿のまる子ちゃんも凄く可愛かったです。

あの時の放送を思い出すと、「鳥山明先生、さくらももこ先生、素敵なお年玉をありがとうございます。」と心の中で感謝しています。

鳥山明先生、

あなたが生み出したキャラクターたちは個性たっぷりで凄く魅力的です。あなたこそが、唯一の神龍である事を私たちは絶対に忘れません。

声優のTARAKOさん、

毎週日曜日の夕方、私たちにいつも、「さあ、皆あつまって、ちびまる子ちゃんが始まるよ〜‼」っていうあの一声が、私たちをワクワクさせてくれた事にとても心の底から感謝しています。

謹んで心よりご冥福を
お祈り申し上げます。

天空天馬

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