三輪勝恵さんを偲んで

皆さん、こんにちは。

声優魅力伝道師、天空天馬です。

今回は藤子・F・不二雄先生の名作「パーマン」と手塚治虫先生の名作アニメ映画「ユニコ」で活躍した声優の三輪勝恵さんを偲んで、彼女の生涯と魅力をお伝えして参りますので、宜しくお願いします。

皆さんも、三輪勝恵さんの出演作品の思い出や名シーンを振り返ってみて下さい。

三輪勝恵さんは、1943年の10月12日生まれの大阪府出身の声優さんで、声優業だけではなく、ナレーターとしても活躍しました。

【三輪勝恵さんの代表作品】

  • 悟空の大冒険
  • パーマン{第1作}
  • 妖怪人間ベム
  • タイガーマスク
  • あさりちゃん

三輪勝恵さんの声優人生

三輪勝恵さんは、大阪府に生まれ、4歳の頃に引っ越して東京都港区で育ちました。

幼い頃はNHK東京放送児童劇団で子役として活動。

1960年、在籍中に人形劇「ブーフーウー」のフー役に抜擢。

大学在学中は国語教師を志しており、出身中学の教育実習をしました。

ところが全く睨みが利かず、生徒たちから『声がマンガみたい』とからかわれ、呼び捨てにされたことにショックを受けて教職を断念し、声優さんの道に進みました。

1967年、テレビアニメ「黄金バット」のアガルタ役で、アニメの世界にデビュー!

同年に、藤子・F・不二雄先生の名作アニメ「パーマン」{第1作}で主人公の須羽ミツ夫・パーマン1号役に抜擢。

主題歌のオープニング・エンディング「ぼくらのパーマン」も自身が担当し歌唱。

1年後の1968年、「ゲゲゲの鬼太郎」{第1作}、「妖怪人間ベム」、「怪物くん」{第1作}などの妖怪関連のアニメに出演。

1970年代以降、数多くのアニメ作品に出演。

1981年、昭和の大阪を舞台にしたギャグアニメ「じゃりン子チエ」では主人公チエの親友平山ヒラメ役を担当。

【手塚治虫先生作品ユニコのアフレコでデビュー】

同年に、手塚治虫先生の名作アニメ映画「ユニコ」では、人々を幸せにする一角獣{ユニコーン}の男の子ユニコを演じました。

私も三輪勝恵さんが出演したアニメ作品の中でも、「ユニコ」は忘れられない思い出の作品です。

因みにですが、私が子どもの頃、夏休みに放送された「BS夏休みアニメ特選」という特番をよく観ていました。

その中で思い出に残るのが、1983年に公開された続編の「ユニコ魔法の島へ」というアニメ映画です。

「ユニコ魔法の島へ」は、とある島の町で生き人形の姿に変えられた人間、動物、森の幽霊たちを救うため、ユニコは、自身を助けた少女チェリーとスフィンクスの男の子マルスと協力しながら、愛と勇気を力にし、邪悪な魔法使いククルックとの戦いを描いた作品です。

当時、私はククルックの外見に恐れていましたが、ユニコの頭の角が武器になると考え、心の声でユニコに『がんばれ、そんなおばけやっつけて〜‼』と応援していました。

しかし、大人になってYouTubeで久しぶりに「ユニコ魔法の島へ」の限定配信を観た時は道徳を理解しているため、ククルックの悲しい過去を知り、戦いを望まないユニコの優しさに私は感泣しました。

私の相棒の龍氏も、こう言っていました。

『私は誰かがちょっと咳をしたくらいでも、移さないで!なんて言わない、そういう時は、大丈夫ですか?って心配してあげる事だ。』

『前の職場では、大きなお世話!風邪ひいてるの?移さないで!って言われて傷付けられたけど、それでも誰かに優しくしてあげる事だけは忘れない。』と話していました。

三輪勝恵さんの旅立ち

2024年、6月19日、80歳でこの世を去りました。

三輪勝恵さんのユニコを観て育ち、成長した人たちはみんな、誰かを幸せにしてくれる優しい大人になっていると思います。

西陽の空を見上げた時、大人の姿に変身した、ユニコが翼を広げて空を飛んでいる様に感じる事もあります。

【天空天馬からのメッセージ】

三輪勝恵さん、あなたが演じたユニコは、

本当に私たちを幸せにしてくれた、

素敵な友達です。

謹んで心よりご冥福をお祈り申し上げます。

天空天馬

«

»

ブログ

記事がありません。