古川登志夫さんの魅力を余すことなくお伝えします!
皆さん、ご機嫌いかがでしょうか?
声優魅力伝道師、天空天馬です。
さあ、今回も私たちアニメファンを魅了させる素晴らしい声優さんたちの魅力を余すことなくお伝えしていきますので宜しくお願いします。
今回紹介する声優さんは、レジェンド声優の古川登志夫さん!彼の声優年表を皆さんに分かりやすく紹介していきます。
古川登志夫さんの声優人生
古川登志夫さんは10男5女の15人兄弟の末っ子で、栃木で生まれ育ちました。
小学生の頃から役者に興味を持っていて、東京で仕事をしていた上の兄に送ってもらった、某児童劇団のパンフレットを見て、中学一年生の頃の12歳で、児童劇団に入団をしました。
当時は、栃木から東京に行くのに距離があって大変だったため、東京にいる兄の元へ上京し、父親の反対を押し切って役者への道を踏み出しました。
その後、高校の演劇部に入部し、高校卒業後、1965年の18歳で大学の演劇部に所属していたものの大学を中退し、新たな劇団に入団しました。
その当時は、役者一本だけでの生活は厳しかったため、幾つものアルバイトを掛け持ちして頑張っていました。
そして7年後、25歳で、海外ドラマの吹き替えに出演し、この吹き替えがきっかけで4年後には、初のアニメ作品「ゼロテスター」の通信員役で、アニメの世界にデビューしました。
1978年の31歳の頃、古谷徹さんたち率いる声優仲間で結成したバンドグループ、スラップスティックのメンバーとしてギターを担当し、数々の歌番組に出演しながら、様々なアニメ作品で二枚目役を務めました。
その3年後には、あの伝説のアニメ「うる星やつら」の諸星あたる役で初の三枚目役を務めたのです。
1986年の39歳で、バンドグループは解散しましたが、その後「ドクタースランプ」の空豆タロウ役、そして、「ドラゴンボール」のピッコロ役で、二枚目役や三枚目役だけではなく悪役もこなす声優さんになりました。
「ドラゴンボール」のアフレコ現場での裏話ですが、ピッコロ役での戦いの掛け声でかなり苦労していたそうです。
天下一武道会での悟空との対戦シーンや、ナメック星でのフリーザとの対戦シーンで、
「ワァッチャッチャチャチャチャッ!!!!」
と言うブルース・リーみたいな掛け声に疲労を感じていました。
そのため、スタジオにある鍵盤を見た瞬間に、「ピアノーッ!!」って叫んだり、「茶碗‼」とか「納豆‼」と色んなアドリブを叫んだと言う話をある番組で話していました。笑(空耳〇〇ーみたい笑。気になる方は、DVDをご覧になってみて下さい。)
ピッコロ役で注目された古川登志夫さんは、「ONE PIECE」のエース役でも爆発的な人気を集めて、今でもバリバリの現役で大活躍しているのです。
鳥山明先生とTARAKOさんへの想い
今年の3月上旬に天国へ旅立った鳥山明先生とアニメ「ちびまる子ちゃん」で、まる子役を務めた声優のTARAKOさんとの思いをご自身のSNSで偲びました。
「ドラゴンボール」のピッコロのフィギュアの写真をアップして、鳥山明先生への想いをつぶやき、「うる星やつら」の共演での思い出と当時出演した舞台での写真をアップして、TARAKOさんへの想いをつぶやき、二人への想いを伝えました。
この複雑な時代である令和でも、古川登志夫さんは、これからも、色んな作品で更に注目を集めさせてくれる事に私は期待したいです。
最後に
では、最後に、古川登志夫さんが出演したアニメ、「ONE PIECE」のエースの必殺技で、締めます♡
「行くぜ、燃え尽きろっ!!!火拳!!!」
カッケーよ、エース‼泣
あ、また取り乱して失礼しました。笑
以上で、古川登志夫さんの声優魅力と声優年表をお伝えさせて頂きました。
次回は、古川登志夫さんとは、ライバル⁈だけど、実際は仲良しである、アニメ「北斗の拳」「City Hunter」で出演したレジェンド声優神谷明さんの魅力等をお伝えしていきますので、次回も宜しくお願いします。
以上、声優魅力伝道師天空天馬でした。
「じゃあな~‼」by空豆タロウ
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